左とは『霊足り(ひだり)』のことを指し、『霊(ひ)』とは、人間の心を表します。そのため、昔から日本では『左』を神聖な位置としたり、『左程(さほど)ではない』という言葉のように、左を最上位として扱う風習があります。その為、まず左から清めるというのが手水の古くから伝わる慣わしです。
右とは『実切り(みぎり)』のことを指し、霊とは対照に体を表します。つまり、①霊(心)を清め、続いて②実(体・身)を清めることで心身ともに清めることができるという考え方です。それらを表しているのが手水の作法と言えるでしょう。
口に含んだ水を水盤の外側に出すときは、口元を左手で覆うように隠すといいでしょう。もう一度左手を清める。(柄杓に直接口をつけないように)お願い事を神様に告げるということは、心にしまってある、願いの感情を口に出すことを意味します。口を清めることで、願い事そのものを清めるという意味合いもあります。神様の前では誰もウソはつけません、その為の手水であり、口を濯ぐ行為なのです。
次に使う人のことを考えて行動するというのは、日本人の最大の特徴でもあります。そのような精神はこうした風習や作法を通して私達の生活に深く根付いていると言えます。とても素晴らしいことですね。
一説によると手水のルーツは伊勢の神宮内宮に参宮される前に、五十鈴川で身を清めたことに端を発すると言われています。五十鈴川は、倭姫(ヤマトヒメ)が大和国の祖神である天照大神を伊勢の地へと祀る決意をした、決め手となった要因となった一つと言われています。
最寄りの神社には手水舎がない!おそらくそんな場合もあるでしょう。でも安心してください。大切なのは作法や風習に習うことです。例えばお参りに行く際に、手をアルコールで消毒したり、自宅で歯磨きをしてからお参りしたり、そういった気持ちがとても大切です。手水の所作はあくまでも作法であり、絶対に決められたルールではありません。当然手水を行わなくても神社に参拝はできます。ただ、神さまを祀るお宮にお伺いするわけですから、ある程度の所作や作法は身につけておく必要はあります。それがマナーであり、礼儀なのです。そして、最も大切なのは、見よう見まねでもこれらの動作をやってみようとする心がけです。何事も気持ちが大切なんですね。