古事記の日本神話の冒頭に生まれる天之御中主〜豊雲野神までの七柱の神々って何者?
と言うことで、日本が生まれるの話ですが、突然神様が現れては消えて隠れてしまいます。
実はこれって人の『心の在り方』についての教訓なんです。
まず、古事記には『独神(ひとりがみ)に成りまして』とありますが。
これは、『独神=孤独』という意味ではなく、独り、あるい単独で『成る』ということです。
つまり意識(神様)として生まれた時点で成立し、独自の領域や次元を展開し続けるということです。
分かりやすく言えば、これらの意識(神様)は、一度心に芽生えれば、生涯失われることなく心の中に有り続けるということです。これが、いわゆる『物心が付く』という言い回しのことです。
さらに、古事記には、『身を隠したまひき』とありますが、これは、一見すると神様が姿を消したと、解釈されがちですが、実は神様の在り方のことを伝えています。
これらの神様は目視することはおろか、意識的に認識することはできず、無意識の内に姿を表しては、その役目を終え、そそくさと身を隠してしまいます。
このような『身を隠すのが上手な独神達』は、実は人間の脳や心の先天的な機能として備わっているもののことで、そもそも人でもなければ、自然災害やビックバン的な現象、あるいは事象ではないんです。当然神様が身を示すことは有りません。
しかし、私達日本人は、この『恥ずかしがり屋』で、『隠れ上手』な『神様達』の存在を明確に肌で感じる(神を知る)ことができます。
決して日の目を浴びることを望まない独神。
私達はその神々の名を知ってか知らずか、日頃から口に出しています。
『いつもありがとうございます。お陰様(七柱の神々)です』と。
感謝の気持ちを表す時。いつもそこには神様がいるんですね!
と言う話でした。


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